I trust my feeling

私が彼を追い出すのだろうか?
彼のために善かれと、組織のために善かれと、方針に沿って彼の仕事をすべて引き継いだ。引き継げたし、体壊しながら彼よりよほど上手くやった。ええ、今回は危なげなく出版間に合わせましたよ。
結果、彼が必要とされる場所を奪ったのかもしれない。そんな事は望んでいなかった。彼は至らないだけで、何も悪くない。存在価値はある。なぜなら私がまだ必要としているからです。そしてそこまでこの組織に責任を持つつもりもない。
防ぐことにする。

心沸き立つ夢の話

 アイスピック氏のとこで見つけた心沸き立つ情報!東京でいま「野宿」が熱いそうな! まじか!いたのか同志が!! 一人で野宿が危険なら皆でやればいいもんね!
 というと自分の趣向とはちょっと違ってくるのだが、忙しい都会の現代人が安全に配慮しつつ野宿を敢行しようと思ったらこのへんがいい線なのでしょう。実行する行動力があっぱれです。というかそういう欲求を持つ人が意外といるんじゃんってのが超うれしい。「野宿が夢」とかいうと「なんて物好きな」という反応しか受けてこなかったもので。
 暇なので常々温めている私の夢についての展望を記載してみよう。自分の理想最終形は樹の烏鷺の山伏なのだが、頑健な体が最低条件でそれについては現状甚だ自信が無い。盲の山伏になんてなった日にゃ普通の山伏よりもよほど頑健かつ山に慣れたほとんど仙人のような力が必要だろうしな。私の外見は痩せこけた男子のようなので、痩せこけた男子として生きれば衆道的危険はあっても女性的危険からは遠ざかる筈なのでその点恵まれていると思う。寂しさに耐え切れなくなったときに降りて行って言葉を交わせる顔見知りの村人かなんかがいるといいな、というのが私のまだかわいらしい社会人的なところでしょう。友達とたまに近況を交換出来る私書箱をもっておくとかね。その山が誰の持ち物かとかは空想なのでこの際気にしない。
 でも東京の都心からこの国にきて、まあここもアジアじゃ超がつく都会だけどいくらか近づいた気がするのよね。会社からの徒歩での帰り道に見上げていた、黒い空にさらに黒々と聳える、巨人が両手をたかく振り上げているような「化け物の樹」をはじめとする樹の山がこの22階の窓から見下ろせる。幸せ。あ、そうか、ここで山伏になれば冬の寒さに打ち克つ必要はないわけだ。
 ちなみに今部屋のパソコンでのほほんとしているのは、食中毒だかなんだかで39度の熱が出たので会社を休んでやった。

天に近づいた

 引っ越しました。昨日までは2階でしたが今日からは22階、私の好きな緑が一望できます。今日の午前中まではカビさん達とワイワイやっていたのですが、高層階になったのでちょっと彼らと距離ができるのかな。だといいっすよ。
 代わりに何か他のものとワイワイやることになるのか、それはこれからのお楽しみ。とりあえず今回は家族とさらに他のテナント二人がいるので前と打って変わって人間はうじゃうじゃしています。
 私の愛する彼らが、ずっと幸せであるように。冀う。

声で勝つ

 私が管轄しているページは広告の入りようによって増減する。たまに正しく倍増する。そうなった場合私はもちろん担当レイアウターも修羅場に放り込まれることになる。一から作るページが倍増すれば直しも倍増(むしろラッシュで次々作って行く為最初の詰めが甘く直しはより大掛かりになりがち)となり、校了間際にもなると追いまくられて目を吊り上げたレイアウターはしばしばこちらが渡す校正紙をクシャクシャにして屑入れに放り込んだりする。その後自分で拾って広げてたりするのが可愛いのですが。たまに本当にボイコットし出版的に超危険な「明日」に回して帰ったりする。
 今週がその世界で、校了日の今日夕方過ぎ、彼女がもう終わったと思っている原稿に私の指示間違いによる誤りがあることがぎりぎりのタイミングで発覚ししょうがないので大きく赤を入れて持って行く。こりゃ高い確率で明日に回されるなと半ば覚悟を決めつつ。完全に目の据わったレイアウターが原稿に目を据えたまま、あなたの言った通りにやったんだけど。と呟いたのを受け一か八かで「間違えた!!!!」と日本語で怒鳴ったら*1、数秒固まったあとおとなしく処理してくれた。そう何度も使える手ではないだろうな。(今回で二度目くらいですし)
 

*1:彼女は日本語を解します

時ならぬスコールを浴びながら

 KATO THE KILLER. 共有スペースを通りかかったとき、同居人に呼び止められた。TVのローカルチャンネルに、秋葉原の交差点が映っていた。KATO の供述、人間像がテロップで流れる。日本には心のトラブルを抱える人が多いのか、と聞かれた。うーーーーーーーん、ねーーーー、としか言えずすごすごと部屋に戻った。なんでこうなっちゃったんだろうね。いつからこうなっちゃったんだろうね。なんで刃物が流行るかね。硫化水素が流行るかね。なんだよ流行るって(笑) 笑うよ。なんだよ流行って。
 人間は苦しくなれば苦しくなるほど、よけいに愚かになる。これは最近読んだ本の中で、小野不由美が登場人物に語らせた言葉。これを読んだとき、これ以上の真実を私はここ最近耳にしただろうか、と思った。苦しくて、視野が狭くなっていって、どんどん苦しくなって、他の救いが視界に入りこむ余地なく最後には巷に溢れる硫化水素の切れ端しか目に映らなくなるのかもしれない。だから流行するのか? 弱くなった思考が、他人もやってるから俺もやっていいんだ、いっちょ派手にやってやるんだ、と導かれるのか? 
 

 またひとつファンタジーを読了し、パスタ屋を出、街灯に照らされてぴらぴら光る樹の葉を眺めながら、私はまたひとつ本に支え直されたな、と思う。よっこいしょと。
 現実から遠い世界の物語を読むのは、より鮮やかに現実を見るため。旅や夢と同じように、自分の生身が存在する世界から離れれば離れるほど元の自分がよく見える。旅から戻り、地面に着地したとき、摩耗しぼやけていた自分の現実が息を吹きかえす。空気をかき分け、コンクリートの反発を感じながら、一歩一歩地面を征服していく。もぐらのようにちょこちょこと顔をのぞかせていた「迷い」達を軽くたしなめ、落ちつかせて寝ぐらへ帰すように。
 本は生きていくための私の飛び道具だ。手や足と引き換えにしたとしても、目は失えない。だから医療の進歩を望む。