アトハ野トナレ山トナレ

 って言葉が結構好きだ。今日いまこの時がそういう心境。1ヶ月間の突貫工事で、動きのゆったりした senior colleagueやら自分のクライアント範囲から決して出ない営業やら必ず定時前に帰るローカルレイアウターをなだめたりすかしたり尻叩いたり時には恫喝したりしながら、間に合わせたわよ。結果的にはぴった締め切りに。年一回のこの刊行物で、経験者は4人の日本人スタッフ中わがsenior colleague一人のみ。最も年下の私がなぜだか統括をやらされ、右も左もわからぬ中でよくやりましたよ(こんな状況もう慣れっこです)。「よろしく」と言われてから、何にどれくらい時間がかかるのかもいまいち判然としないなかだいたいのスケジュールを組み、進んで行くにつれそもそもこれ「よろしく」の時点ですでに納期が非現実的だったんじゃねえかと思えてくる。作業時間の見込みやら手順やらについて、7−8回は作ったはずのsenior colleague*1が驚くほど何もわかっておらず、とにかく自分が動いたり決めたりしなきゃ何も進まない状況は、たまにブチ切れそうになったものの(いや心置きなく切れてたけど)終わってみればかなり楽しめてた気がする。結果的には、 senior colleague 曰く去年よりよっぽどシステマチックにロスなく行けたらしい。去年はキレて原稿を投げたらしいレイアウターも今回は最後まで淡々とやってくれたし、皆様の働きあってまとめることができました。直接この仕事には関わらないながら担当レイアウターの仕事をいくらか肩代わりしてくれていたローカル同僚が夕方、日本語で「おめでとう」と言ってくれたのが嬉しかった。
 「アトハ野トナレ山トナレ」って、やり残した感やもっとやるべきだった感がもし少しでも自分のなかにあったら辿り着けない感覚だと思うので、今身を委ねられているこの解放感は今回の仕事がくれた自分への褒美として享受したい。今回の本では、出たあと何かミスが発覚しても自分が落ち込まない自信があるもの。これはなかなか得難い体験のはず。

 ローカルとの関係が原因で辞める日本人が多いなかで、私は本当にいつもローカルに助けられている。サッパリしすぎなくらいサッパリしている彼らゆえにこちらが期待していない分、余計彼らの優しさは倍加して私の力になる。日本人の同僚達は「なぜこいつはろくに英語も喋れないのにローカルとスムーズにやれてるんだ」という顔をしているが別に怪しげな術を使ったわけでもなく、特に下手にも出ず輪に入ろうとするでもなく、ただたまに彼らがしゃべってる頻出単語の意味を知りたくなって中国語のできる日本人の同僚に聞いてみたり(使うと「全然違う!」と言われるので実際は喋らないけど)していただけで、プライドにかけて日本語は口にしない人達だと思っていた(日本の文字を操っているので実際はかなりのレベルでわかってるようなんだよね)彼らがぼそっと流暢な日本語を喋ってくれたりお菓子をわけてくれたりするようになった。お互いに装飾の少ない簡単な言葉をやりとりし、仕事以外の無駄口をほとんどたたかないこの関係は本当にナチュラルで、心地よい場を与えてくれる。それで充分なんだよね。言葉が発達すればするほど余計なものが多くなる。言葉で食ってる自分が言うのも何だが。
うさだからこの長々しい文章はほとんどが余計ってことさ!(ふと気づいてしまい開き直る、の図)

*1:普通に日本語で言えば「上司」なんだが、今やその言葉があまりにもしっくり来なすぎて笑えてしまうので使えない。どっちかつうと部下みたいなんだもの今や