forget me

 昨日はmeditation2回目。楽しかった。エンターテインメントとして、という捉え方なのでちゃんちゃらですけど。また行くかどうかは考え中。いずれにせよしばらくまた行けなくなるんだけど。そもそも人が寄り集まって行うことが必要なものではないので、論理でいけばこの2回でもらった感覚を家で伸ばすことはいくらでも可能なはずなんだよね。でも瞑想前後のディスカッションが大変面白かったりするので行く意味は大いに感じる(英語を使う、聞くという意味でも、また他の人の思想を知るという意味でも)。ちょっとしてからまた行きたいな。
 先生の「最前の瞑想ではなにを求めましたか」という問いに、私は「自分の存在を忘れること、というより、小さい点のような自分を含めた広い広い世界を感じること」と答えた。瞑想前にはだいたい「無我の境地は遠く難しい。まずは自分の感情を見つめましょう、そして奥にあるものを感じましょう」という話をされるんだけど、それでなくとも「自分」「自分」で溢れかえっている私の世界をこれ以上膨らませたってしょうがない。音の無い、他に何もしなくていい、自分の行動が誰に何を引き起こすこともないこのうえない自由な空間で、このうえ自分に拘泥するのはあまりにも勿体ないと思ったのね。逆行するようで申し訳ないけど。自分の感情なんて、こんな空間に置かれなくても先刻承知だ。お世辞かもしれんが先生は私の答えに「禅」を感じたと。私が日本人であるにも関わらず「禅」の中身をほとんど知らないということは先週露見済みで、まあ随分と自己嫌悪に陥ったものだがな!
 だから、どっちかというと今、私は大きくなりすぎている自我を超えたい。自分から逃げるということではなくね。自分ばかり見つめていたら却って自分がどんなものになっているのかが見えないから。