個人主義に過ぎる?

 「ゴール裏に行きたい人気軽に連絡して下さい」「ゴール裏体験者募ります」こういう呼びかけは、実績をあげているようだし尊敬する。ただ「ゴール裏」と一括りだと、いろんな形があるゴール裏への敷居をまとめて高くしてしまっている感があるような…。 
「構えないで気軽に来てくれたら」「楽しみを知って定着してもらえたら」という呼びかけ側の思いが伝わる反面、ゴール裏に来たことがない人達に、「なんらかのグループに参加なり断り入れるなりしないと入れないんじゃないか?」と思わせる恐れもあるのではと。 でもそんなことはなく、ゴール裏に敷居はない。1人でも2人でも、好きに来ればいい。で入った場所がちょっと自分の温度と合わなかったら移ればいい。サポーターグループ、バンデーラの一角等を除けばほとんどが他人同士なのだから、電車に乗るのと同じで恐れることもない。電車よりも多少周りを見ることが必要になるけど、一回なんとなしに来てみて見渡せば、自ずと自分の位置も定められるでしょう。 


 要は「連れて行く(招き入れる)からゴール裏行きたい人声かけて」という呼びかけを目にすると、仲間とか関係なく1人2人で来れるゴール裏のほうが現状では広いっていう事もあわせて言ってみたくなるわけです。(「サポーターグループに入りたい人」「バンデーラに入りたい人」など超コアゾーンを目指すには呼びかけが良いとっかかりになると思う。)
 まあこういう個人主義が多いから応援に迫力が出ないんだと言われるかもしれないけど。でもゴール裏に温度差があるのは良い事だと思う。だからこそ多人数がそれぞれ性格や体調やモチベーションに合った勢いで声を出すことができるし、最初端ッこに居た人が段々燃えて来てコアに近づいて行くというのも多い。急に皆コアになれって言っても無理な話だし。それに場所を選べば個人で来ても大声出せるし、それが集まって戦力になる。 
 と、超個人主義の視点で述べてみた。