音の原風景

 小学校低学年の頃。音楽の時間、先生が「これから流す音楽を、どんな曲名か想像しながら聴いてみてください」と言ってあるオルガン曲を流した。重くゆっくりと一定のリズムを刻み、転調を繰り返しながら物憂げな主旋律が現れては消える。頭の中に広がったイメージは、薄青と薄紫が混ざった、曖昧な光がゆらゆら降りてくる濁った水中のような景色。素敵な曲だなあ、明るくはないけど、真っ暗で寒い感じでもない不思議な景色だなあ。
 音楽が終わると、児童それぞれが紙に自分の考える曲名を書いて発表した。私が考えた曲名は「夢の時計」。曲の静かさ、一定のリズムが、夢の中でどこからともなく聞こえてくる、古時計が時を刻む音を想像させた。他の子の回答は「子守歌」「教会」などやはり少し神秘的な匂いのするものが多く、私と同じく「時計」を連想した子もいた。本当の曲名は何だろう?と嫌が上にも皆が期待するなか、先生は「たぶん皆がっかりすると思います」と前置きしてからこの曲の正式名称が「小フーガト短調」であると教えてくれた。形式と調子がそのまま曲名になっているだけ、とのこと。
 正直、非常にがっかりした。音楽の授業なんてはなからフザけて臨んでいるような男子達さえ落胆していたようなのが、今思うと微笑ましい。子供心に何だか裏切られたような気分になったんだよな。このがっかりした瞬間で記憶は終わっており、先生の意図は今いち不明。想像力は大事ですよ、とかそれぞれいろんな感性があるんだね、とかいうことだろうと思うが。
 音楽を聴きながら頭の中で色や風景を描く習慣は、ひょっとするとあの時の授業の賜物なのかな。と今「小フーガト短調」を聴いていて思った次第。