儚いな

世の中って、生き物って儚いなあというのを痛く感じさせられる今日このごろ。昨日まで有ったものが、気まぐれのように今日ふっと無くなってしまう。無くなったものがまた気まぐれを起こしてふっと戻ってくる、ということは殆どない。
力があるから有り続ける、力が無いから消えていく、という単純な図式は常には成り立たない。そんな単純な世界なら「悔い」や「惜しむ」「もったいない」といった感情は存在しないだろうし、多分そんな世界はつまらないというのはわかってるんだけどね。↑らへんの感情ってすごく色気のあるものだと思うし、無くなるべきじゃなかったのに無くなった物というのはものすごい色気を持つ。有名人で言うとリバー・フェニックスとか夏目雅子さんとか、これはまだ生きてるけど最近ではJの赤西君とか。生きてる人は戻ってくる可能性がゼロではないから余計だろう。どこまでも色男ですね彼は。なんつって正直カツーン好きとしてまだショック大きいすけど。
でも儚さはマイナスだけではなくて、目に見える物、手に取れる物がいつでも簡単に消えてしまうということがわかっているからこそその対象物を愛おしむことができるし、逆説のようだけど対象物への執着心に歯止めをかけることもできる。そして対象物が消えてしまった後、それこそ何にも邪魔されず好きなだけ愛することもできるし、全く忘れて別方向に進むこともできる。
とはいえ私の場合「儚さ」というものにかなり甘えており、人生設計なんてほとんど役に立たないと思っているし出たとこ勝負で流れに任せているから今の不安定なポジションなんだろうなあ、というのはわかってはいる。自分の仕事を守ろうと思ったことはなくて(任された仕事は責任もってやってますが)、守りたいのは家族と友達だけ。自分の仕事が家族を支えているわけではないからこういう考え方になってしまう。自分のなかで信じているのは正義感のみ! …ってこの年でそれもどうだろう…。
「儚さ」感をうまい具合に自分の前進力にできたらなあ、と思う今日このごろです。