男らしさは淋しさではない

 ルパン三世で言うなら断然五右衛エ門派。大学の時、五右衛エ門に感じが似た先輩に憧れていた。気のないふりしてソツなくこなす。目立つ言動をするわけでもないのに、何か企画が持ち上がると必ずその中に入っている。でも嫌だと思うことは絶対にやらない。部内の責任はきっちり果たす。その雰囲気のため後輩からは近寄りがたかったが、同学年以上からは「こいつはかなりの奴だ」という目で見られ、特に年上(男女とも)からは可愛がられた。でも、同輩や先輩ですら、絶対に隙を見せない彼が張っていた強固な壁を押し破ってその中にあるものを引っ張り出そうとすることを躊躇した。彼に惚れる女子には「恐れ知らずだねえ」と周りから声がかけられた。結局、どれほど一目おかれていたとしても、彼は周りにとって「何を考えているかわからない奴」だった。
 大学を卒業し、働き出してからも、奴は相変わらずうまくやっているようだった。あの内向的な男が、あのおかしな世界でよくまぁやっているもんだと思うが、相変わらずソツなくこなしているのだろうと思っていた。だが、あるとき奴の仕事上の先輩と二人きりで話す機会があった。奴の話にもよく出てくる、仲の良い先輩だ。「でもさあ、あいつってどうなの?つまんないんじゃない?だって何考えてんのかわかんないじゃんあいつ」 ああ…やはりここでもそうなのか、と思った。この先輩でさえそうなのならば、奴の職場に奴をちゃんとわかっている人間はいない。
 弱みを見せないで済む男は、一見男らしい奴、出来る奴だと思われがちだ。しかし、自分をさらけ出す事を必要以上に恐れ、いつも何かを隠し持っている事で生き延びようとする男が果たして男らしいなどと言えるだろうか。 確かに「攻め気質」の女からはもてるかもしれない。「あの人の中身を知りたい」と、隠れがちな相手にいたずらに恋心を募らせる。でも、必要以上に自分を出し惜しみして生きていくうちに、いつか奴は自分を見せることが本当にできなくなってしまっていた。本当は、これ以上出せるものなんかないんじゃないか。実際、自分の中身は大したことないんじゃないか。そして、奴はどんどん自分の中にこもっていく。外見はどんどん上手くなっていく。多少なりとも自分を見せられるのは、自分を無条件に好きだと言った女だけ。
 奴の恐れは、私にもよくわかる。似ているからだと思う。でも違うのは、私は何をやってもいっぱいいっぱいで、周りから助けられながら生きてきたという事。友達甲斐のない私を「まったくあんたは…」と笑いながら助けてくれる友人がいるという事。奴を見ていると、わかりやすく出来が悪いというのは私にとって本当に幸せな事だったと思える。
 今じゃ、どこをどう斜めから見てもゴエモンになんぞ見えないけどね。
 さて。