ひねくれ正直者

 「私でさえこうも生きにくいのに、私の知ってる誰よりも変わってるみきちゃんがちゃんと社会で生きてるってのがいつもほんと凄いと思うんだ」という言葉を頂戴したことがあるほど、自分は変わっていると言われている。奇矯な行動が多いというわかりやすい点以外では、ばか正直でありそしてその表れ方がオカシイというのが要因だと思われる。気が強いわけではないむしろデリケートなくせに、相手へのマイナスな反応も素直に表す。感謝や賞賛の意を伝えるときは照れて仏頂面になるのでそれも一見怒っているように見える。愛想笑いはいっさいしない(これは現在もそうで、社長などに対しても態度を変えないため周りはひやひやしてるらしい)。子供の頃はこのようにひねくれた小学生男子的性格が顕著だったため、「怖い人」というイメージを持たれ、遠巻きにされる傾向にあった。自分がその話につきあう必要性を感じなかったり、関係無いと思われる話題には徹底してよそ見を貫く*1というのも「失礼な奴」と思われる所以。言われるまで自覚がなかったのだが、私に電話して用件が済み、女の子お決まりの雑談に移行しようかというところで「じゃ。」と一方的にブチっと切られ、しばらく放心するという経験を多くの友達が乗り越えてきたらしい。よって気づけば、長年の友となっている子達は皆ずぶとく大人な人々であった。
 だが、私のこの性格が受け入れられてしまうと、自分としてはいささか不本意な気分になる事がある。きつい意見や不満をストレートに表しても周りは「らしいな」という風にむしろ楽しげに対応されてしまうのだ。相手を傷つけるよりは千倍ましなので気楽っちゃ気楽なのだが何か損した気分である。男を諦めさせようと必死できつい事言いまくってんのに全て「君らしい」で片付けられた時には参った。  昨日も、待ち合わせに遅れた1年ぶりの友達に電話をしたらなんと全然違う所でお茶してるなぞというふざけた返事が帰って来て、不機嫌度100で文句言っているのにびびるどころかケラケラ笑われてしまった。まぁいいか、持つべきものは気の置けない友です。気を使わなくていい相手としか会っていないので、約四半世紀生きても初対面やまだ慣れない人に対する気の使い方ができず依然として「怖い人」とバリアー張られる事が多いわけだが。

*1:サシではさすがにそんな失礼な事はしませんが